日本全国を旅する風俗評論家・岩永文夫氏が各地の裏風俗や温泉、酒、うまいもの、観光地などを紹介する旅情いっぱいのコラムです!
36.ススキノ(北海道)
札幌の裏のフーゾクといえば、ススキノの東側にある豊平川のほとりの「会館」と呼ばれた連出しスナック街と、北側にあった北24条の本サロ街が有名だった。
しかしながら、会館の方は2010年にKサツの手が入り潰され、片方の北24条はそれよりも前の2007年に洞爺湖サミットに際して見苦しいフーゾクは如何なものかということでアッサリ取りつぶされてしまった。
にもかかわらず、御当地の本番フーゾクは「もう駄目だ」と思った人は誰もいない。それほど札幌のフーゾクは柔(ヤワと読みませう)ではない。全国でも指折りのタフで、したたかな裏フーゾク都市なのである。そうフーゾク不滅都市の札幌なのだ。
などと力を込めて中●貴一クンみたく騒ぎ立てることもないけれど。(注、最近の彼をTV特にNHKの番組などで見ていると、やたらとテンション高くナレーターをしていたりしてチョイ心配である。どこかの元プロテニスプレーヤーのお馬鹿さんにだんだん似てきているのではないかと・・・いらぬお世話ながら)
そんなこんなで最近のススキノは、表立っての裏フーゾクが、ちょいと目に付き難くなっているけれど、何てことはない地中深く、闇の奥のほうではバッチリ元気にお仕事に皆さん頑張っているのである。
特に注目は、20代後半からアラサー、アラフォーあたりのメチャ色っぽくてスケベなお姐さんたちのアンダーグラウンド活動だ。というのも、これらの皆さん多くは、会館や北24条でお仕事をなさっていた人たち。それと、最近の不景気から新たにフーゾク入りした熟女や人妻たちなのだ。
いまやススキノのなかには、20〜30軒ほどの箱ヘルやデリヘルの熟女ヘルスが鎬(シノギと読むべし)を削っている。ここで老婆心ながら注釈をしておくと箱ヘルとは、店舗型の一般的なヘルスのこと。デリヘルのほうは皆さんすでにご存じの宅配型(配達先は自宅でもホテルでも結構)ヘルスのことである。要は、札幌ではヘルスと名の付くフーゾクではどちらでもピチギャル勢に交じって熟女のお姐さんたちが、お仕事に精をだしているのだ。
ところで問題は、その精の出す先である。本来ヘルスとは、ギャルの手なり口なり、なかには持って生まれた巨(おお)きなオッパイとか股間にポコチンを挟むとかして射精させる商売である。それが御当地で今どき流行っているのは、体外の何所かに発射するのではなくてキッチリ身体の中に放出させちゃうハードなサービスなのだ。
えっ?それならヘルスというよりも本ヘルじゃあないかって。まさにその通り、実は店を挙げてなのか女のコ個人の営為なのかは、さて置いて、ともかく話のとても分かる人たちが多い街である。特に、ここ最近の熟女・人妻軍の勢力が強まってからの傾向である。
たとえば全身リップのサービスから入って濃厚フェラに至る手順は、ごく当り前なのだが、そこから先で待っているのがスマタなのである。なかでも困るのがバックからのスマタ行為なのだ。
一応このプレイは同じスマタのなかでも要注意のワザなのだ。本番無しの店では、女のコにバックからのスマタは禁じ手として教えているところもあるくらいだ。というのも、これは自分でヤッてみればすぐ分かる。何回かコスリコスリしているうちに、スルリとアソコのなかにポコチンがいとも簡単に収まってしまいやすいのである。
だから「バックからのスマタOKよ」というコは大抵が、ことと話し次第では「本番OKです!」というコが殆んど。ついでに言うと、御当地の熟女ヘルスでは「AFも大丈夫よ」という人もかなり見かける。参考までにAFとはアナル・ファックのこと。
それだもんで、ヘルスの今の相場である1時間で2万円弱という店では、一発目は前のほうを使ってごくまともに。続いてはアナルの方も楽しんじゃうという遊び方が人気になっているとか。こちらのお客は、タマっているのか、元気なのか。そのどちらもなのか筆者には分かりません!
さて、このような熟女ヘルスの向こうを張っているのが御当地の立ちんぼサンである。以前はそれほど多くはなかったけれど、こちらも二つの本番名所が無くなったことからなのだろう、この頃はススキノの街中で目に付くようになっている。
彼女たちに料金を聞いてみると大体が1万円で、ホテル代は別と言う。さらに5千円も出せば“生”でもOKだというお姐さんが多くいる。
さらにプラスして、熟女がお相手をしてくれるキャバクラまで最近になって登場してきた。こちらの面白いのは、世の中をよく知っているお姐さんたちと飲んでいるうちに話が盛り上がって、何かとタッチしたり、されたりの関係に。こうなると閉店後のアフターも付き合ってくれるし、さらにその後のベッド・タイムまでOKということに。
いま北の都サッポロでは熟女・人妻の皆さんがとても元気のようなのだ。