日本全国を旅する風俗評論家・岩永文夫氏が各地の裏風俗や温泉、酒、うまいもの、観光地などを紹介する旅情いっぱいのコラムです!
最近よく耳にする言葉で絶滅危惧種というのがあるけれど、もちろんフーゾクの世界にだってあります!
いや、この頃は危惧どころかその筋によって絶滅されちゃったフーゾクも結構あったりして。たとえば横浜の黄金町のチョンの間街だとか町田の田んぼだとかね。
それはさておいて、今回のテーマとなるのは、いままさに風前の灯というか、その一歩手前というか、まさに絶滅危惧種のような愛知県にある形原(かたはら)のお遊びについてである。
こちらはいまだ絶滅は免れているものの、それでもヤバイことについては、さほど変わりません。ともかく「なんとか頑張って!」の絶滅危惧種的遊び場なのである。
さて、今どき形原と言ったって大抵の人は御存知ないのでは。しいて言えば競艇で知られる蒲郡市内にある規模の小さな、海に向かって傾斜している斜面に開かれた温泉地なのだ。 それもいまや売り物の温泉は干上がってしまっていて冷泉を沸かし湯にして使っているという。
しかしながら目の前に広がる三河湾を含めて付近一帯は三河湾国定公園になっているだけに、風光明媚な土地柄ではある。
湾の向こうには渥美半島が遥かに望見でき、どことなくのんびりとした雰囲気の漂う街といえるだろう。
それにすぐ近くにある西浦には湾内で獲れた魚を食べさせてくれる料理屋も寿司屋もあって、それなりに楽しめるところである。
記者にとっては、ちょいと息抜きをしたくなったり、軽く一休みなんていう時にこっそり出向く休息の街でもある。
その昔の形原は伊勢神宮へ詣でるお伊勢参りのための渡船場だったところ。 そこに泊まる連中のための遊郭が何百年にもわたって大繁盛していたのだが、1958年に売春防止法が施行されて一度は色街も壊滅したのである。 しかしその後まもなく、海に面した渡船場のあたりから現在の温泉街へと少しばかり傾斜地を上ってきて新たに街を構成したというのだ。その点、フーゾクのお仕事って何ともしぶといね!
そしてこちらが再び流行ったのは1960年代の後半頃で枕芸者のお姐さんたちが街になんと170〜180人もいて、それなりに御当地の人気は再度盛りかえったのだ。
つまり形原は江戸時代の昔から三河湾に面した色街として知る人ぞ知る街だったのだ。
さて、こちらで現在遊ぶとしたら一体どうすればよいのか。なんたって今や宿は数軒、ラブホも数軒、女の子と泊まれる料理屋も数軒とやたら色街としての規模が小さくなりすぎてしまった形原なのである。
一見の客が遊ぶにはかなり困難なところではある。他所ではタクシーの運転手とか飲み屋のオヤジに御当地の情報を聞いてみると大抵は丁寧に教えてくれるものだが、こちらではともすると「ここではそんなものないよ」なんて愛想のない返事が戻ってきたりする。街が狭いものだから、あまりあからさまに答えると差障りが生じるからだろう。
それでも情報を得る手はある。それはこんな場合に記者がよく使う手なのだがダイレクトに店に行ってしまっての直接交渉だ。宿なりラブホなり料理屋に入ってから、そちらのオカミや主人に聞いてみる。「あの〜、こちらで女の子と遊べるって聞いたもので」と切り出してみよう。なかには記者を胡散臭そうに眺めながら断る店もあるけれど、ある店では比較的軽く「ええ、どうぞお上がり下さい。すぐに呼びますから」と答えてくれるところも必ずある。
こちらの芸者の花代は、たしか90分で1万2000円である。それにお姐さんにあげるお小遣いというかチップというか、その他モロモロをひっくるめて最低でも3万円は必要だ。ちょいと高く感じるムキもいるだろうが、芸者遊びにはこのくらいの出費はどうしても掛かってしまうもの。
でも早からず形原からも芸者のお姐さんたちは、いなくなってしまうのかもしれない。残念なことである。なかには20代前半の若い子もいたのにね。