日本全国を旅する風俗評論家・岩永文夫氏が各地の裏風俗や温泉、酒、うまいもの、観光地などを紹介する旅情いっぱいのコラムです!
55.トルコ風呂(グアム)
はっきりと申しておきましょう。わがニッポンくらい素敵で安全で人々のホスピタリティに富んだ国は、おそらく世界中何処に行ったってありません。それは、サッカ―のワールドカップ・ブラジル大会の会場での日本人観客のゴミ片付けの画面になったり。2011年3月の驚異的な東北大地震に恵まれても静かに行列を作って配給を待つ人々の図になって世界中にTV画面配信されている。こんな国、他にありません。マジに。
そんな人たちが長い休みが近付くと、どこか海外に行きたいと思うようになるのだが。そうなると、いつでも記者は海外情報を流すどころか、逆に袖を引っ張って「いまはやめたほうがいいよと」止めるのだ。
というのも世界でニッポンほど安心して遊べる場所なんてないのだから。グアムなんかホテルズラリのタモン街ならまだしも、そこからちょいと離れた周辺地区ともなると住人のチャモロ人がヤバいことをやって逃げ込んでしまったら一巻の終わり。もう犯人も盗品も何も出てこない、ドロンのパーなのだ。という一般的な話は、この際止めにして。
それでもグアムといえばアメリカの準州なのだから、アメリカ的なエッチなお遊びが出来るのではないかと一縷(イチルのと読みませう)の思いを込めて太平洋を遥々(ハルバル)渡る好き者も多いはずだ。そこで御当地の遊びといえば、最も歴史のあるのがトルコ風呂≠ナある。
記者がグアムに行って実にスッキリするのは、このトルコ≠ネるニッポンでは既に死語になっている言葉が思いっきり使える点である。記者は御当地に行くと、自分が遊びに行こうが行くまいが勝手にこのトルコ≠連発する。だってそうでしょう、ニッポンの中でこれを連発したり原稿にでも書こうものなら、あらゆるところから苦情が来る。
でも、言葉に幾ら目くじらを立てても詮無いこと。というのも、この単語を使っているのは地元グアムのタクシー・ドライバーであったりトルコ業者である。それと韓国からやってきている労働者のトルコ嬢たちなのだ。決してニッポン人ではない。でもトルコ人たちは韓国にはクレームを付けないから不思議だ!
近いうちに沖縄にいた米軍が帰ってくる。それに対しての掃除が始まったようだ。記者が楽しく遊んでいた今から40年ほど前にはトルコは15軒ほどあった。現在では僅か2〜3軒ぐらいに。別に準州政府が取り締まったのではなく、トルコ業者とタクシードライバーや業者間同士のタレ込み合戦で。自然に減るように仕向けられた。
でも軒数は減ったけれど、これは驚くことに料金だけは変わらない。1時間ないしは40分、これは客の顔を見ての判断によるが金150ドルから100ドルの間。つまり馬鹿面(バカヅラと読みませう)をしているとタクシー・ドライバーやポンビキの私的なコミッションとして値段が上がるだけ。
それにトルコ嬢との気持ちの交流なんて求めても無理だ!というのも彼女たちの8〜9割がたが韓国人であり、とんでもなくビジネスライクである。残りの1〜2割は、韓国とアメリカのアリゾナのコネクションの関係で西部訛りの目茶歳の行ったお姐ちゃん。まず会話も何も成り立たないだろう。
ついでに言っておくと、御当地のポールダンスを中心とする酒場のストリップ・ショーも料金は100ドルで、そのあと女を楽しもうとしたらこれまた大抵がアリゾナ女である。それも歳のいったオッパイの垂れさがったのが多い。でも百聞は一見に如かず、怖いもの見たさで店を覗いてみるのも面白いだろう。
それでも本当のところ島のなかでは韓国のピチピチギャルが結構お仕事をしているのだ。その図式を分かるように今年チンドで起こった、あの無残な水没事件と関連付けて説明してみよう。
まず事の発端は、あの修学旅行生たちを乗せたフェリー・ボートの沈没事件だ。この事件は単なる水難事件としてでなく、より根源的なところで韓国社会全体に大きな影響を与えた。この数年間、国の中に漂っていた政治、経済的な疲労、さらには国家に対する様々な懐疑心が、一挙に噴き出してきた。それが一方ではニッポン叩きになり、一方では社会停滞から不況へとなる。「これじゃあ、やってられないよ」とばかり若いお嬢たちの多くは不満一杯!何処かに気晴らしに行ってこようとばかり海外貧乏旅行へ。
ところが最近の世界では、特に韓国の若い女性による行状が二重丸でチェックされている。まるで、かつてのコロンビア娘のように。それでも海外へ。借金してでも、コネクションに乗ってでも。
となれば現地でフーゾクでもやって荒稼ぎをしないことには採算は合わない。韓国嬢の殆んどは「海の向こうのフーゾクへフーゾクへ」と靡いちゃうのである。
一船沈んで学生は死に嬢は海の向こうに身を売りに行く
風が吹いて桶屋が儲かる式の話だけど、この話に乗れます? 40年前のグアムなら違ったのにね。青い海に白いサンゴ礁。事件もそれほどなかった。何故なら自然も美しかったけれども、住民も地元民のチャモロ人とカナカ人は自分たちで集落を作っていたし、米兵とアメリカ系のシビリアンは基地に寄り添って暮らしていた。その間に、怪しげなフリーラブ・コミュニティが介在していて、それぞれに楽しんでいたのである。
でもグアムは楽しいかもしれないね。色遊びではなくショッピングやサイト・シーイングにはね。記者のお勧めは南部にあるココス島だ。たまには遊びと言ったってセイ遊ではない清遊も良いでせう。