日本全国を旅する風俗評論家・岩永文夫氏が各地の裏風俗や温泉、酒、うまいもの、観光地などを紹介する旅情いっぱいのコラムです!
53.雄琴温泉(滋賀県)
ニッポンは火山国である。だから地震国でもある。いや、間違った!火山国であるから地震が多い。ではなくて、そうだ温泉が多いだった。ここで地震は全く関係ない。悪しからず。
話変わって、その昔から温泉が多いということはスケベも多いってこと。というのも温泉の温かいお湯に浸かっていると人間ってなんだかヘンな気分になってきて。ムズムズというのかムクムクというのかムラムラというのか、ともかくエッチな気持ちが次第に高まってくる。つまり火山は温泉であって、温泉はスケベに通じるのだ。何だか分んな〜い!
それもニッポンくらい温泉がアチコチに多いと、思いもかけぬ所に湧き出ていたりして、記者のような温泉マニアでさえ驚かされることがイロイロある。例えば三重県の的矢湾に浮かんでいる渡鹿野島などがいい例だ。
この島は江戸時代から太平洋を航海する船の、海が荒れた際に避難をする風待ち港として有名だったところ。だから大時化(オオシケと読みませう)が収まるまでのしばしの間を船乗りたちは港の姐さんと楽しく過ごすのが楽しみであって、それで有名な土地だった。
だから温泉の方はあまり世に知られてなかったが、歴としたナトリウムカルシウム塩化物泉という効き目のある温泉であって。切り傷、やけど、慢性皮膚病などに効く有りがた〜いお湯である。でも、今さら傷を治しに渡鹿野島まで行く物好きはいないよね。
ところで、ソープランドで有名な雄琴も、その昔は雄琴温泉として知られていて。泉質はアルカリ性単純泉で神経痛や皮膚病や婦人病に効果がある温泉だったなんてことは、さらさら知られていなかった。
だがしかしバット、雄琴温泉は比叡山を背後に、そして日本一の湖の琵琶湖を前にした風光明美なアナ場的な温泉場なのである。もちろん、いま現在も。その上、比叡山を越えて京都の町までだって僅か三十分ちょいとで行けてしまう便の良さ。言ってみれば京の町の奥座敷と言えるほどの温泉が雄琴なのだ。
とは言うものの1971年(昭和四十六年)に、その静かなる温泉街のマジ、隣接地の田んぼの中に突如ニョッキリと異国風のトルコ風呂(断わっておくが現在この単語は使えない。だが本稿では歴史的言辞として使用させていただく)が出現した。
「花影」という名前の雄琴のトルコ風呂一号店は、個室が全部で十五室もある大型店だったのだが。そんなキャパシティを軽く凌駕するほどの客がオープンの日から連日長蛇の列を作った。その理由は、遠く関東から、いや全国から手練のトルコ嬢たち(当時は関西はトルコ後進国であった。念の為)が集められたという話題が乱れ飛んでいたからである。それに合わせて、客たちが大挙して押し寄せて来たというわけだ。
こうなったら温泉どころの話ではない。雄琴温泉は、鄙びたまんまで琵琶湖と比叡山の間に追いやられてしまった。でも、景色は良し、泉質もまあまあ、それに宿泊料金が他の温泉地よりも安いとあって固定したファンは多い。いまでも温泉の方は知る人ぞ知る存在として人気を持ち続けている。
そこで遊ぶならソープ街で、ということになる次第で。あの湖に面したかつては田んぼだった真っ平らで広い土地に、ゆったりとした土地割で作られた建物。どちらを取って見ても、ゆとりがあるのと、金をかけて作っているのと、ともかく西洋のお城風あり、和風の天守閣あり、アラビアンナイト風ありで、ちょいと他所では見られないワンダーランドなのだ。人言って、これをチロリン村とも呼んだ。
しかし田んぼのなかにニョキニョキの風景は、御当地の事情や情報を知らない一見の客にとっては有り難いことである。だってそうでしょう、目指す店の前に行ってグルリの駐車場を見れば、混んでいるかどうかが一目瞭然。そして停めてある車のナンバーを見れば、そこが人気店かどうかもすぐ分かる。地元ナンバーより他府県ナンバーが多ければ、その店は大いに人気あり!ということ。要は雄琴のソープ街に初めて紛れ込んでも何の心配も要らない。店の周囲を見ればその店がどのくらいのランクの店かが手に取るように理解できるのだ。
でもどうせ御当地で遊ぶなら、温泉に宿をとって、昼間の明るいうちにソープで楽しく過ごして。日が落ちかけたら京の町に出て祇園か、何処ぞで京料理を食べるなんてコースが宜しいようで。これでもって、宿代が六〜七千円ほど、ソープが総額で一万五千円くらい、京都の食事代が酒代を入れても一万円するかしないか。たまには、このようなハンナリとしてマッタリした時間を味わうのも一興かも。ムフフ。自分への御褒美としてね。