日本全国を旅する風俗評論家・岩永文夫氏が各地の裏風俗や温泉、酒、うまいもの、観光地などを紹介する旅情いっぱいのコラムです!
25.どんぐり橋(京都府)
どんぐり(団栗)が、お池にハマって大騒ぎ!になってから、もう一年以上になる。月日のたつのは早いものだ。肝心なものはタタないのにネ。
ところは京都。昨年の十月と十一月に、京の町のなかではピカ一の裏スポットだった五条楽園が、その筋の手入れが入り楽園内にあったお茶屋(遊ぶ場所)と置屋(芸妓のプロダクションと思えばよい)の関係者が売防法違犯でゴッソリ逮捕されてしまった。
それでもって、恐れをなしてしまった関係者各位は皆さん協議の上で、ご当地の休業を決めてしまった。以来五条楽園の全ての店は一斉にお休み状態なのである。
もちろん再開の見通しなんて、立つはずもないし。いつの間にか、河原町通りから楽園に入るところに架かっていた五条楽園≠ニ大書した、それが目印の看板も外されてしまった。
で「その話と、どんぐりがどう関わるのかよう?」と責付(セッツクと読みませう。決してセックスではありません)かないでネ。話はこうなのだ。
昨年の、大騒ぎで雲散霧消(うんさんむしょう)してしまったと思われていた楽園の人たち、特に筆者が心配していた芸妓のお姐さんたちの行く末が、最近になって次第に分かり出してきた。ここで話は、どんぐりと結び付くのである!
でもその前に、五条楽園とその周辺の様子を簡単に説明しておこう。京の街のなかの東側を流れる鴨川。それと並行して流れる高瀬川。その間に挟まれた中洲のような地形の五条楽園。ちょうど場所的には、都の中心の四条河原町と五条の間に位置している。
鴨川の広い河原には、白鷺やカモメが飛び交っていたりして何ともロマンチック。高瀬川の両岸には、緑濃い柳の木が立ち並んでいて、これまた雰囲気最高。そのなかにある楽園は、昼間ぶらついていると路地に面した家のなかから三味線の音が聞こえてきたり、お香を焚いている芳しい香りが流れてきたりする。まさに古い都の、風情ムンムンとする色街であった。
そこにあるお茶屋の海老茶色の暖簾をくぐって店に上がっての遊びは、数百年この方、変わらないものだった。それが突然の、その筋の横槍(よこやり)で一切が立ち行かなくなってしまったのだ。そう、もはや五条楽園は消えて無くなってしまったのである。嗚呼!
そうしたら、鴨川に架かる四条大橋と五条大橋の間にある団栗橋の橋の上で、この頃何やらお仕事をしているという婀娜(アダと読みませう)なお姐さんの一団がいるという。ただし、これは表現の問題であるけれど、婀娜は的確な表現としても、お姐であるかどうかは個人的な見解による。もうチョイ、歳はいってるのかな。参考まで。
この団栗橋とは、その昔に橋のたもとに一本の大きな団栗の木があったところから付いた名である。橋の西側には、今ではヘルスが立ち並ぶ木屋町や西石垣(サイセキ)通りがあり。東側には、宮川町の花街、その北には祇園の街が。
つまり、団栗橋界隈は、西も東も京の町のなかでも遊びにこと欠かない場所なのだ。そのまさに橋の上に、最近では楽園離脱組のお姐さんたちが流れてきて、夜な夜な立っては道行く男性の袖を引っ張っているというのだ。
そのお姐さんたちの歳の頃は、アラサーというか、それよりもチョイ年上のアラフォーというか。まさかアラカン(アラウンド・還暦)の人は居ないようだ。でもとても婀娜っぽいし、よく熟しているし、それなりに魅力的ではある。
そんな彼女たち数人が、どんぐりの橋の上で坊ちゃん≠ェ早く来ないかなと心待ちにしているのである。
で、人待ち顔の彼女たちに聞いてみると、お付き合いの値段は一万五千円だという。ただし一緒に入るラブホ代は別である。これをホ別とフーゾクの世界では言う。
さて、この料金を高いとみるか、はたまた適当と見るかは、さておいて。あの風情のあった楽園での遊びは、決して無くなることなく、こうやって生き残っているのである。
それにしても団栗橋とは、かつて水上勉の小説「五番町夕霧楼」の中にも出て来るくらいの待ち合わせスポットでもあった。と言っても、たいていは旦那と芸妓の待ち合わせだったが。
事ここに及んで、京の市内の密やかな遊びスポットとして息を吹き返しつつある、というところか。お姐さんのなかには、はんなりとした京言葉を使うジモティもいたりして。古都の夜の風情を楽しめたりするのもEかな。